意味の消費

煩い世の中に蹴りを入れる

経営者は無能で不道徳だという話

 起業してみて、サラリーマンの外の世界も所詮は無能で不道徳な連中の集まりであることがよく分かった。

サラリーマン時代は「経営者が人格的に立派とは思わないが、まぁ何らかの優れた才能を持った人々なんだろう」ぐらいは漫然と思っていた。だが、これは根本的に間違っていた。

変な人は多い。しかし、優れた人は極度に少ない。だいたいが無責任で、受動的で、理解の遅い人々である。

構想を組み上げる創造性を欠いているし、彼らのそのチンケな頭で考えたお粗末な構想ですら、継続的な努力で達成することさえできないのだ。

例えばある経営者は、衰退してゆく地元の活性化にご執心である。自分の会社は全然大きくなっていっていないのに、ボランティアばかりに熱心だ。

やっていることは尽く無意味で、焦点のズレたものである。が、熱心にやっているものだから地元のコミュニティではそれなりに有名人だ。

彼はその「有名さ(地元限定)」あるいは「人脈(地元限定)」を活かして、ある募金集め事業を行い始めた。子分ども(地元でフラフラしているフリーランサーたち)に無料で雑務を押し付けながら、地域活性化のための募金を集め始めたのである。

掲げているスローガンは立派(だが絶対に実現不可能)なので、ある程度募金は集まった。お金を出している人々は健気なもので、評判の彼の言うことを信じて、なけなしのお金を寄付していた。

かくいう私も「壮大過ぎる当初目標は無理でも、ある程度何かできる資金が集まるかも」と思い始めた矢先、彼はそのプロジェクトに飽きてしまう。なんと、全く別の偽善的プロジェクトを始めてしまったのだ。

何もかも投げっぱなし。「そのうちやるから」と言って子分どもを待機させておきながら何もやらない。集まったお金もそのまま放置。寄付した人の気持ちはどうやって供養するんだろうか?

彼は恥知らずの不道徳者だが、どうやら本人の自己認識は「仁義に厚い人情派」であるようだ。気分が乗っているときはよく他人にお説教しているが、お説教されるべきはお前である。

明らかに私より能力も道徳性も劣っている彼であるが、名声は彼のほうが上である(収入は知らない)。まぁ「名声」と言っても「地元じゃ負け知らず」程度であるが、それでも彼は鼻息荒くブイブイ言わせているようだ。

ビジネスは本当にくだらないと思う。この程度の連中が、適当な嘘や妄想を垂れ流しているだけで仕事になるのだから。こんなカスどもの放つ悪臭を、どうしてみんな嗅ぎ分けられないのだろうか。

そんなことにいつまでも関わっていなければならない私の無能さ加減にも、本当に嫌気がさす。